福沢ルミナリエ諭吉メリークリスマス

人間は、負けるとわかっていても、戦わねばならない時がある。だから、たとえ負けても勝っても、男子は男子なり。
勝負をもって人物を評することなかれ。

福沢諭吉の言葉です。

事あるごとに勝ち組だ、負け組だと騒ぎ立て、格差社会がどうだこうだとポピュリズムが勃興する現代。これは日本に限ったことではなく、アメリカ、ヨーロッパの主要国をはじめとする世界各地で見られる現象です。何をしても逆転できない負け組の閉塞感が爆発し、根底からルールを引っくり返そうとしているわけなのです。

負け組は負けるとわかっているけれど、じゃあどうせなら、と半ば自暴自棄に勝ち組を引きずり下ろそうと躍起になっているわけなのです。なぜなら、負け組はここで諦めれば閉塞感漂う毎日に戻るだけで、戦わなければならず、戦い続けなければなりません。
しかし現実をご覧ください。トランプ大統領になって負け組は救われたでしょうか。EUから脱退した英国は救われたでしょうか。
そう、たとえ負けても勝っても負け組は負け組なのです。閉塞感を紛らわす為に戦ったわけで、そこに勝ち負けつまり勝負はないのです。勝負をもって負け組を評することなかれ。

福沢諭吉の言葉は言い得て妙ですが、名言の多い彼は学問のすすめの冒頭で次のような言葉も残しています。

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、と。

この言葉の続きには、世の中の格差は学問に励んだか励まなかったかの差である的なことが書いてあるんですけど、そもそも学問ていうのは学校で学ぶものを指すわけではなく、世の中のあらゆる事象から学ぶことができると彼は言っています。つまり、当人がその気になって物事を考えたのか、時流を読もうとしたのか、学問を修めようとしたのか、しなかったか。その違いであるということです。

負け組と思っている人たちには是非読んでもらいたい。考え方が変わると思います。

さてしかし、たとえ全力で学問を修めようとしたところで、顔が悪い、体型が悪い、頭が悪い、性格が悪い、目が悪い、財政が悪い、勘が悪い、胃袋だけは絶好調という1勝7敗の僕は、完膚なきまでの負け組であることは揺るぎなく、7冠を永世という揺るぎものとして手に入れた羽生永世7冠の裏街道をひた走っていると申し上げても過言ではなく、赤坂2丁目でワイナイナに食らい付く猫ひろしとは訳が違うのであります。頑張れ森脇健児

ということで、今日も極めて暇な僕は人生の敗者であることを確認すべく、神戸ルミナリエに単独にて参戦したいと思います。

見逃した方にもう一度申し上げます。

「単独で。」

ボーナスが入りウハウハであろう世間の勝ち組カップルたちがイチャつく姿を網膜に焼き付け、臥薪嘗胆。

大混雑が予想される中で、見た目不審者で中身も不審者の僕が、独りで人混みに入ると痴漢疑惑も甚だ否定できなくもないですが、あくまでも人生は波乱万丈、正月元旦、人工透析、熱烈歓迎。

下手すりゃ冤罪逮捕でラストのブログになろうかと思われますが、負けるとわかっていても、戦わねばならない時がある。だから、たとえ負けても勝っても、男子は男子なり。
勝負をもって人物を評することなかれ。

福沢諭吉にメリークリスマス。