待つという行為の希薄化

昔は駅に黒板があって待ち合わせの人が利用できた、という事実を今の若い人たちはご存知だろうか?

11時に駅で待ち合わせていたのに友達がこない。
大事なイベントは12時。
遅くとも11時10分の電車に乗らなければ間に合わない。
友達には悪いが最初から参加したい。
じゃあ先に行っとこう。

今の時代ならば通信手段はいくらでもある。
携帯電話、メール、LINE、SNS・・・etc
電池さえあればスマホをいじってどうにでもなる。
「今どこ?10分の電車に乗るからまたあとで会場着いたら連絡頂戴。」

電車で先に行くことを伝えることができ、更には混雑するイベント会場でも連絡を取ってすれ違うことなく落ち合うことができる。

そんな神を恐れぬ便利なツールが登場したのはほんの数十年前の話。
それ以前の便利ツールこそが駅の黒板と白チョークなのである。

「ごめん、先に行ってる。向こうで会えたら会おう。hinadan」
こんな感じでメッセージを残すわけだ。
しかしこれでも限界があるわけで、先に行くことは伝えることができても
向こうで落ち合う手立てがない。
もちろん向こうでの待ち合わせ場所を伝えればいいのだが、

「先に行ってる。小室友里の列に並んでいるから見つけて。hinadan」

こんなことを書いてしまうと自分の性癖というか好みが駅を通るみなさまにバレるわけで
思春期のそれはまさに自殺行為であり、絶対にそんなことを赤裸々に書くわけにいかない。
ましてや友達は麻生早苗派だから落ち合える可能性はまずない。
実質的に「先に行く。」ということしか伝えられないのである。

当時の待ち合わせは
・時間と場所を詳細に決めること
・その決めたことをお互いがキチンと守ること
この2点が肝であり、どちらかが欠けると駅の黒板を使う必要が発生し
最悪の場合は性癖を白日の下に晒すことになることになったのだ。
つまり待ち合わせという行為は命綱を握り合うような非常に重い意味を持っていた。

それが今はどうだろう。

最初に記したように連絡を取り合うツールに満たされている。
そしてその通信の秘匿性は高く、関係者のみでやり取りができて性癖が流出する恐れは
非常に低い。
待ち合わせという行為に一切のリスクがなく、落ち合おうと思えばいつでも落ち合えるわけで待ち合わす意味さえない時代となった。

シティーハンターこと冴羽リョウに依頼するときは駅の黒板に
XYZ」などと書き込む必要はなく、スマホか何かで連絡を取れば良い。

東京ラブストーリースマホや携帯電話があれば、カンチとリカはすれ違うことなく
関口さとみの巧妙な横取りに合うこともなく、5話ぐらいでハッピーエンドで終わっていたはずだ。
「カーンチ、セックスしよ。」でエンディングを迎えていたに違いない。
リカが約束よりも1本前の電車に乗ったシーンも電話一本で
「どこ?乗った?」で済んだであろう。
その前にカンチの母校の柱にリカが相合傘を書いたシーンがあるわけであるが、
あれは駅の黒板と同じような役割を果たしている。
カンチはそれを見てリカが既にここを経由して駅に向かったと推察できた。
待ち合わせが鍵を握り、すれ違いが巧みな展開を誘うわけで
今のスマホ時代ならば到底成立していないドラマである。

現代社会における待ち合わせの希薄化は明白であり、
おっぱいにしても今はスマホでいつでもどこでも閲覧可能でありがたみは薄くなっている。
逆に冴羽リョウスマホのおかげで常時モッコリ可能。
カンチのセックスなどどこ吹く風で「XY自慰」なのかもしれない。